アメリカ人は謝らない、と言う噂を聞いたことがある方は多いのではないでしょうか。私も大学留学前に、「交通事故に合ったら、自分が悪いと思っても絶対に謝ってはダメ。全責任が自分に来るから」とどこかで読み、恐れおののいたのを覚えています。今日はその噂を元に、日本とアメリカの謝罪文化を検証してみます。

 

 

最近ではベッキーの不倫騒動は、記憶に新しいのではないでしょうか。一度めの謝罪会見で謝罪、中居くんの番組で謝罪、2度めの会見で最後にもう一度謝罪。いやはや、反省する気持ちは十分伝わりましたよ、、、興味なくなるほど、謝罪を重ねに重ねましたからね。

 

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日本のメディアを見ていると、視聴者の怒りをメディアが掻き立て、その視聴者の憤りをメディアがベッキーなり、舛添さんなりに突きつけ、泣いて土下座みたいな感覚の謝罪をとことんさせて、視聴者の気を静める、と言う、何とも無駄な一周をしているな、と思います。っていうか、ベッキーの謝る相手は、視聴者じゃないっしょ。

 

アメリカ人はここまで謝りません。物事を論理的に考える人たちなので、自分に100%の責任がないことを証明しようとするし、訴訟社会なので「とりあえず謝って、場を鎮めよう」というメンタリティはありません。

 

それと基本的にアメリカ人はポジティブなので、お涙ちょうだい、悲嘆にくれるから許して、みたいな態度には無縁。悲嘆にくれて、涙ながらに謝りながら酒を飲み交わしている暇があったら、解決法を探します。その辺彼らはとても合理的。

 

謝罪 日本人 アメリカ人

 

先日、バスの中で、日本人ビジネスマンの会話を盗み聞きしました。「向こう方がさ、謝りの報告はないかって言ってくるんだよ。だからこっちもコミュニケーションの問題を、、、」と、取引先とのいざこざについて話し合っている模様。謝りの報告って、、、言葉での謝罪ってそんなに大事?ベッキーは日本にいるからあんな風に涙ながらに何度も謝罪しなきゃならなかったんだな、と気づくきっかけになりました。謝罪を受ければ、とりあえず少し落ちつく、もしくは納得するのが日本人。そんな言葉のあやに時間を潰している暇があれば、前に進みたいアメリカ人。仕事を一緒にすれば衝突するのも、これで納得。

 

アメリカ人に面と向かって謝罪を求めることはあってはなりません。それはとても失礼な行為だから。「ごめんなさい」という言葉にこだわる文化を持たない国民にとって、それは侮辱、もしくはbullying(いじめ)ととられる可能性だってあります。

 

私は個人的に、謝罪に関してはアメリカ人のメンタリティが好きかな。謝罪のドラマに固執するのは観る方もする方も気分悪いもの。そんなことしているエネルギーがあったら、今回の失敗から何を学べたか、今後どうやって問題を避けるか、などの、建設的な話し合いをした方が、ずっと今後のためになると思うから。

 

潔く謝罪するhumbleな(謙虚な)日本人も気持ちは分かりますが、その言葉だけで満足せずに、そこから前進する態度を忘れずにいたいものです。

 

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