何度かお伝えしている通り、今週はアトランタに出張しています。ジョージア州はアメリカ南部に位置するので、Southern Hospitalityの一環で、みんなとてもフレンドリー。私の住む都会ほど忙しくないので、みんな笑顔が素敵でのんびりムード。渋滞もひどくないし、急ぐ必要がないって、なんて幸せなことなんだろうと実感。

 

そんな彼らが豹変するのが運転する時。ものすごいスピードで、前を走る車をあおりまくり。こんな運転だったら捕まるよー、と思うけれど、なぜかパトカーも全然見ないんですよね。あんなに笑顔が素敵な南部人なのに、車を運転し始めると超アグレッシブなんだから、二重人格もいいとこですよ。なんでなんだろう。

 

二重人格といえば、バイリンガルの人は二重人格だと聞いたことがありませんか。英語はストレートな表現ができるので、英語を喋るとストレートな性格になるけれど、日本語では温和、みたいな。これは実際のところどうなんだろう、と思ったことはありませんか。今日は言語により二重人格の私なりの考察を書いてみます。

 

 

私自身のことですが、英語を話すときって、確かにある程度ストレートに物事を言います。でもそれは、別にガツガツと自己主張するってことでもなくて、英語のほうがストレートに言ってもひかれることが少ないからってのが大きいかな。日本語だと「こんな言い方したら失礼かしら?」って思考から入るので、どうしても英語の時よりも大人しくなりがち。

 

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私のアメリカ人の友人は、日本の教会へ通っていたことがあるのですが、サービスの後残っていた際に、教会スタッフが帰る旨を伝えたそうです。その後で「最後の人が建物を出た後は、すべての窓が閉まっていないといけないんだよね」と言われ、ひどく混乱したと言います。そういう会話だと、「僕に窓を閉めろって言るんだな」としっかり行間を読むことができないアメリカ人は「だから?」って思いがちなのです。日本人だったら「それじゃ、私が締めなきゃいけないってことね」と悟ることができるので、それをお願いする方も婉曲的な言い方で問題ないし、逆にわざわざストレートな物言いをする必要がありません。

 

だからこそ、私も日本語で日本人と話すときは、「この言い方で大丈夫かな?」と一呼吸おいてから話します。日本ではそういうのも思慮深さの一部ですよね。

 

アメリカで生まれ育った私の娘たちは、日本語も英語もネイティブ並みに話す、私以上のバイリンガルです。土曜日に日本語学校へも通っているので、日本の社会にもアメリカの社会にも触れる機会がある、本物のバイリンガル。そんな二人にもやはり、言語によって多少の違いが見られます。

 

どんな違いかというと、それは基本的に私の場合と同じで、日本語で日本人と話す方が少し注意深くなる感じでしょうか。特に長女はいろいろ考えてしまうタイプなので、日本人のお友達や先生と距離を縮めるのに、アメリカ人のお友達よりも時間がかかっているようです。

 

こうやって考えてみると、果たしてこれは二重人格って言うのかな、と疑問を感じるんですよね。二重人格というと、ジキル博士とハイド氏のように全く異なる人格が同一人物に存在するイメージがあるけれど、私自身や娘たちを見る限り、程度の問題だと思うのです。

 

基本的に私たちの性格って、話す言語が違うからって、180度変わったりはしないのではないかと。

 

英語 多重人格

 

私は基本的に一人での作業が好きで、でも人と軽口を叩くのも息抜きになるタイプ。だからそれが英語になっても基本同じで、ただ何か意見をするときは若干ストレートな物言いになることもある、という程度。

 

長女は真面目で注意深いのを絵に描いたようなタイプ。それは英語であろうと日本語であろうと変わらないのだけど、日本語の方がもう少し注意深く人との距離を詰めます。

 

次女は天真爛漫で、それは現地校でも補習校でも変わりませんが、現地校のアメリカ人のお友達といる方がさらにはじけている感じ。

 

逆に、全く別のハイド氏が出てくる人の方が特殊じゃないかな。それこそ、もともと二重人格なのを言語のせいにしているんじゃないかと、個人的には思います。だって、英語だから何でも言ってオッケーってわけではないもの。日本語だからって、いつもひざまづいて謙遜してなきゃいけないわけじゃないでしょう?それと同じこと。

 

ジョージア州の温和でフレンドリーな人が車を運転すると豹変するように、いきなり言語が違うくらいで豹変するって、実はありえないことなのです。だからアトランタの皆さんにも、ぜひ二重人格を改めていただきたいものです!

 

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