みなさんの会社にはどんな人事評価システムを採用していますか。査定の時期になると、気が重いというかたもいらっしゃるかと思います。そんな気の重い人事評価なんてやめちまえ、というのが今日のお話です。

 

 

私のオフィスの現状

 

私の勤める機関は連邦政府系なだけあって、平社員と同じくらいの数のマネージャーがいます。そのマネージャーたちに役割を与えるためにも、効率化のためにチームを細分化し、不効率に会議や書類を増やすのが、お約束。

 

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でもまぁ、私は別に構わないんです。私には仕事以上に大切なことがいくつもあるので、納得いくくらいの決まったお給料が毎月もらえて、残業や出張が少なくて、仕事内容や環境もそこそこだったら、それ以上のことは始めから望んでいません。私はたった2年とは言え、日本でOLを経験済みなので、多少粘着質な人の扱いも慣れているし、細かいことを口出しされるのも物理的にも精神的にもあしらえますからね。

 

起こるべきして起こった2つの事件

 

ただどうしても文句を言ってしまうのが、保身のために人を陥れようとする人たち。その人たちがいくら保身しようが私は関係ないんでいいんですけど、こっちを巻き込むのやめてもらっていいですかね。最近そんなふうにむかっとする事件が2度ほどありました。

 

ミスコミュニケーションで片付けられた事件

 

ひとつめの事件は昨日のこと。一ヶ月ほど前、私が担当になっている今年やるべきプロジェクトを中止するかどうかの会議がありました。いろいろな要因を考えて、いくつかのリサーチも含め、私は中止を提案し、シニアマネージメントは私の意見に同意し、私とそのシニアマネージメントのあいだにいるザ・中間管理職にその決定をクライアントに告げるように言いました。

 

後日、そのクライアントに決定を告げる会議には私もまた呼ばれ、私はまた詳細を説明。ただ最終決定はクライアントとシニアマネージメント、ザ・中間管理職にゆだねる旨を伝えました。そこでクライアントにごますることしか知らないザ・中間管理職は最終決定はクライアントに任せるので、それまでは私は計画通りにプロジェクトを進めると宣言してしまいました。え~、先日のシニアマネージメントとの会議で中止が決定したばかりじゃん?!でもまぁ、彼には彼の考えがあるのかと思い、meeting minutes(議事録)だけは私が記録のためにつけ、ザ・中間管理職とクライアントに送っておきました。

 

そのあとも私はそのプロジェクトに力を注いでいたわけですが、異変が起こったのは昨日。シニアマネージメントに呼び出され、どうして中止されたあともそのプロジェクトに時間を割いているのかと追求されたのです。「それはザ・中間管理職がクライアントとそういう約束をしたから」と私が記録した議事録を見せると、ザ・中間管理職はそんな約束はしていない、きっと私とクライアントの間でミスコミュニケーションがあったのだろう、と言うのです!いやいや、だったら議事録送った段階で言おうよ?クライアントにいい顔見せるだけ見せて、その尻拭いは私かい。ミスコミュニケーションはあなたのほうでは?

 

私の仕事が終わらなかったせいにされた事件

 

もうひとつの事件は別チームのコンサルタント。サーバーやアプリケーションのアップグレードを担当していた彼らは、期日とおりにアップグレードを終わらせることができず、挙句の果てに私の書いたコードを消してしまうという大失態をおかしました。でもそういう間違いは誰にでも起こりうるし、私はいつも文句も言わずに、待っている数週間にプロジェクトの優先順位を変更して対応し、消されたコードも残業をして書き直しました。こう見えていい人なんですよ、私。

 

ところがこれまた昨日マネージャーから呼び出されて、コンサルタントたちの契約を2ヶ月延長せざるをえなくなった、理由は私がアップグレード後のQAをすぐにやらなかったから遅れが生じた、と。ぶちっ。そもそも私がQAを始めるのに1週間かかったのは、あんたたちのアップグレードが3週間も遅れて、私のコードも消しちゃったから、また一から書き直さなきゃいけなかっただろうが。

 

人事評価の影響

 

こういう人たちに会うたびに、人としてどうなの?と思うわけですよ。私は道徳心もそうないし、無宗教し、さらには性格もそういいほうじゃないけど、人の道に外れたことはしないのが信条。人をだましたり陥れたりって、いくら保身のためとは言え、あってはならないことじゃないですか?私だったら、お天道様に顔向けできない、というほど信心深くないけど、罪悪感で夜も眠れないけどな。

 

人事評価 アメリカ

 

どうしてこういうことが起こるかというと、年度末の査定でマネージメントが集まる会議で、「ぼくのチームはこれだけ貢献したし、問題もなかったから、いい査定をくれ」と直訴するのが中間管理職たちの役目だから。部下たちが悪い査定だと彼らからの信頼もなくなるし、部下たちも上司の機嫌を損ねないために保身に走ります。

 

ハーバードビジネスレビューの記事:人事評価廃止案

 

去年ハーバードビジネスレビューの記事に、最近は多くの企業(アドビ、アクセンチュア、デロイトなどの大企業も含め)が典型的な人事評価をなくしているというのがありました。

 

この記事によると、その理由は5つ。

 

The changing nature of work(仕事のやりかたが変化してきている)

 

年に一度の査定に対し、社員にとってはゴール設定が一ヶ月の場合もあるし、一年の場合もある。他にも、チーム合同でプロジェクトをすることもあり、その場合、直属の上司はその実態をつかめないことも多く、正しい評価につながらない。

 

 

The need for better collaboration(協力体制が必要になってきている)

 

対話式評価ではなく、数字での評価だと、社員同士、部署同士の戦いが起こり、協力体制が築けない。

 

The need to attract and keep talent(社員流出を防ぐのが必要)

 

対話式評価によって社員の評価についての話し合いが頻繁に行われるようになり、その話し合いが社員の教育ややる気、さらには公平な給与につながるようになる。

 

The need to develop people faster(社員教育のスピードを速める必要性)

 

オープンなコミュニケーションが増えたことにより、社員がなにを必要としているかがわかるようになった。年度末に評価を正当化するのに忙しくなくなったのがその理由だ。

 

デロイトの統計によると、マネージャーたちはかつての人事評価に200万時間を費やしていたそう。問題なのはその200万時間が、社員のためというよりは、評価そのものに費やされていたこと。同様の時間が社員の教育のために使われるようになったら、それはその会社にとって大きな利点です。

 

私の意見

 

人事評価をなくすことに大賛成な私。ここでもあげられている対話式人事評価は賛成だけれど、結局どの形であれ「評価」と名のつくものがある限り、根本的な問題は解決しないのかもしれません。みんながお金のためでなく、世界平和と自己の達成感のために仕事をするという、ジョンレノンレベルの理想は実現されることはないんですかね?

 

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