早いもので、アメリカの多くの学校は夏休みに入りました。娘たちは明日から日本で夏休みの数ヶ月を過ごすことになります。毎年恒例なので特にワクワクとかアタフタということはないのですが、最近長女が日本の小学校で過ごすことについて、ボソッと言ったことが気になっています。ちょっと不安なことがあったようで、泣きながら「私はアメリカでも日本でも fit in しないと思うの」と打ち明けてくれたことがありました。

Fit inしない私たちの行く末

 

来週にはまた日本の小学校に通うことになるので、長女が日本の小学校についてどう感じているのか聞いて見ることにしました。

 

 

ちなみに fit in は周りとうまく溶け込む、みたいな意味です。娘たちは国際結婚の夫婦の元でバイリンガルとして日常を過ごすこともあり、順応性は高い方だと思っていたのですが、やはり早い話が彼女たちはアメリカ人。たまたま母親が日本人だったからと言って、当たり前のように日本に溶け込めると思っちゃいけないよね。

 

長女がイマイチ日本の小学校に馴染めない理由は、周りが何を考えているのか、そして自分が何を求められているのかが分からないからのようです。いわゆる空気が読めないってやつです。アメリカでも決して空気が読めているタイプではありませんが、それが個性のひとつなので気楽に生きていけるのがアメリカのいいところ。

 

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長女はひとりで行動することに慣れているので、ひとりで勝手に校庭を見学したり、廊下を意味もなく歩いてみたり、と新しい環境を彼女なりに楽しんでいたようですが、みんなに「〇〇ちゃんって、自由だよね」と言われて、それ以来「〇〇ちゃんは自由だから」と友達に紹介されていたそう。

 

「私が自由って、いい意味で言ってるの?悪いことなの?」と長女が聞いてきます。確かにこの表現は日本で暮らさないと耳にすることがありませんよね。いいか悪いかは文脈にもよるけど、小学生同士での会話の場合だと、どちらかというと悪い方かも?文脈は何にせよ、私には苦手な考え方で、そういうのがいやになって、20年前に日本を出たような気がするな。

 

何が苦手かって、そういう言葉って、みんなが守っているルールに縛り付けるためのものじゃないですか?みんなが守っているルールはいいものもたくさんあるけど、悪いルール、もしくは悪いとまでは言わないけど従う必要もないルールも多くあります。そういうのをひっくるめて押し付けるのに、あの人は自由だから、とか否定的な言い方で押さえ込もうとするのはどうなんだろう。

 

アメリカ 自由 窮屈 日本

 

天然って言葉もそう。長女は「〇〇ちゃんは自由っていうか、天然なのかな?」とも言われたそうで、その天然の意味も分からなかったそう。「私が天然記念物だってこと」と的外れな推測をしていたけど(笑)。

 

人に迷惑をかけない限り、自由に天然に生きていく権利があること、そしてその権利を守ることを忘れずに生きることを教えてあげたい私。人種差別がなくなってまだまだ歴史は浅く、ふと気を抜くと小さい私の権利なんてすぐ取り上げられてしまいそうになるこの世の中で、自分の権利を認識して主張して行くことはとても大切なこと。子供たちには、チームプレイヤーとして周りと同調するスキルと、自分自身でいつづける権利を維持するスキルを、バランスよく持ち続けて欲しいな、と思います。そのためにも自由でいることで居心地悪く感じることがある日本で、たった3ヶ月とはいえ、たくましく生きる我が家のアメリカ人女子たちに大きなエールを送り続けます。

 

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